プロレスラー:三沢光晴さん死亡 試合中倒れる 広島 - 毎日jp(毎日新聞)
13日午後8時半ごろ、広島市中区基町の広島県立総合体育館であったプロレスリング・ノア広島大会で、試合中にノア社長でプロレスラーの三沢光晴さん(46)が倒れ、心肺停止状態で広島大学病院に救急搬送された。県警広島中央署によると、同10時10分に死亡が確認された。同署は主催団体や対戦相手などから事情を聴いている。大会関係者や観客によると、三沢さんはこの日タッグマッチに出場。相手のバックドロップを受けて頭を強く打ち、動けなくなった。レフェリーが三沢さんに「動けるか」と聞いたが、三沢さんは「動けない」と答えた。試合はそのまま中断。医師だという観客の男性が自動体外式除細動器(AED)で蘇生を試みたという。当時、約2300人の観客がいた。
日曜日の深夜だったと思います。高校時代から専門学校時代にかけて良く観ていました。そういえばあの頃は、馬場さんもジャンボ鶴田さんも活躍していました。
ジャンボ鶴田さんとの三冠戦は特に印象に残っています。四天王時代懐かしいです。
専門学校時代のささやかな楽しみは日曜の全日のTV放送でした。バイト帰りにモスバーガーとビールを買って鑑賞するのが週に1度の贅沢。
あの頃、三沢のエルボーに興奮し、元気をもらっていたと思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。
三沢さん死亡でノアがコメントを発表 - 格闘技ニュース : nikkansports.com
弊社代表取締役 三澤光晴儀、6月13日永眠いたしました。多くの皆様より頂戴しておりますご厚誼に深く御礼申し上げます。いかなる時も全力で試合に臨む故人の意志を継ぎ、今後とも選手・社員一同邁進してまいります。ご声援のほど重ねてお願い申し上げます。
「社長!社長!」リングにノア選手の悲鳴 - 格闘技ニュース : nikkansports.com
派手なマイクパフォーマンスを嫌い、リング上での戦いですべてを表現してきた。筋を通さない相手は「絶対にノアのマットには上げない」という、かたくななまでの姿勢も際立っていた。普段の口数は多くないが、1度心を開いた相手には冗舌に語る面もあった。04年には多忙の中、5時間近くインタビューに時間をさいてもらったことがある。学生時代のこと、娘や愛犬のことをじっくりと話してくれた。選手、団体を含め、最強と思うライバルについて質問すると「ぶっちゃけ、そういう存在はいないよね」。強い口調で言い切った。他団体、他の選手への評価を好まないが、自らのプロレス観に絶対の自信をみなぎらせていた。
受け身の名手が… スポニチ記者が悼む(格闘技) — スポニチ Sponichi Annex ニュース
大風呂敷は広げない。うそは絶対に言わない。その分、口にする言葉には重みがあった。海千山千のプロレス界において、三沢さんは誰からも信頼される人だった。
三沢さんに追悼のゴング…試合会場で「ミサワ」コール:プロ格:スポーツ報知
三沢さん最後の試合で対戦相手の1人だった斎藤彰俊(43)はこの日の試合後、リングサイドに飾られた遺影に向かって土下座。「(三沢)社長はまだまだやりたいことがあったのに。おれがあんなことをしちゃって。どんな重い十字架でも背負う」と涙ながらに話した。
理想主義者 三沢 光晴 ネコ・パブリッシング 2004-04 by G-Tools |
PRO-WRESTLING NOAH 三沢光晴 [DVD] プロレス バップ 2003-03-21 by G-Tools |
いかがでしたか?この記事が気に入っていただけたら、ブックマークやツイッターにつぶやいたり、facebook(フェイスブック)の「いいね!」をクリックしてくれると、とても嬉しいです。
Tweet
RSSリーダーに登録していただけるとさらにブログを更新するやる気がメキメキ湧いてくるので、よろしくお願いしますm(_ _)m
ツイッターにブログの更新情報を流しています。日常の出来事もつぶやいたりしているので、気軽にフォローしてやってください。