12/1 16時半頃
突然妻が「耳が遠くなった、なんか変だ」と私に助けを呼ぶ。その後すぐに、頭痛がする吐き気がする気持ち悪いとトイレに駆け込み、吐いてしまう。「何か変だ。頭が痛い。頭が変だ。」と言いながらトイレで倒れたまま起き上がる事ができない。
慌てて119番し、救急車を呼ぶ。
少しして消防署から電話があり、救急車が全て出払っているので、遠くの所からよこすので少し時間がかかると連絡が入る。しばらくして救急隊員3名が到着。
ちょうど妻の妹と買い物に行く所だったので、車でうちに着いた妹に息子を預けて、膠原病の検査で定期的に通院している病院に救急があって受け入れてくれるという事で、搬送。
しばらくして妹と息子、妻のお母さんが病院に着く。お父さんも後から駆けつける。
CTをとって、くも膜下出血ですでに出血している事が判明。脳外科のある近くの病院に再搬送する事ととなる。病院名を聞き、お父さん達は先に病院へ向かう。
この間どれくらいの時間で救急車が来て、病院に着いて、CTの結果を聞いたのがいつなのか、まったく分からない。ただ呆然としてしまう私。
再搬送先が決まったものの、救急車が出払っていてなかなか来ない状態になる。先に病院に行っているお父さんから連絡が入り、30分ほど待たされている事を知る。
ようやく救急車が来て一緒に行く。
再搬送先の病院でも、くも膜下出血に間違いないと診断。
動脈瘤の場合だと6時間以内に再出血がある、死ぬ確率が云々と「死ぬ」「即死」という言葉が連呼される。そしてその言葉しか頭に残らない。完全にパニクる。それ以降の先生の話がほとんど頭に入らない。後からお父さん達から説明を求められたが、上手く説明ができない。
処置室から病室へ移動するまでの間、待つ事となったが、息子や妹の子の面倒もあったので、私以外は一度実家に帰ってもらう事にする。
処置室から出てきて、一緒に病室へ。点滴、採血、おしっこの管を入れるなどなど処置が行われる。
本人は点滴によって意識がもうろうとしているものの、頭痛と吐き気がある事を話し、両手足ともに、感覚はあるようで、ピクッと上げているのが確認できた。
記憶もちゃんとしているようで、息子の明日からの事を心配し、役所に連絡すれば保育所に預かってもらえるから明日連絡してね。と私に説明してくれた。
「死ぬ」「即死」という言葉が頭が離れないが、身体や脳にそれほどダメージがあるようには思えなかったので、今は再出血を防ぐ事が一番である事を再確認する。6時間という最初のハードルを意識する。
9時ごろ、妹夫婦が迎えにきてくれて、息子の様子を見に一度実家に戻る。風呂を済ませ、ミルクを飲んで寝るまでを見守り、今晩はこのまま実家で預かってもらう事にする。
もう一度私一人で病院へ向かい、11時半ごろまでいた。最初のハードルだった6時間以内の再出血がなく無事に過ぎたので、少し安心する。しかし24時間以内も油断できない。
帰宅し、明日も病院へ行けるよう仕事に取りかかる。
ネットでくも膜下出血について調べる。最初の出血のダメージが後遺症云々を左右するとあり、意識も記憶も身体もしっかりしていたので、なんとなく大丈夫なのではないかと希望を持つ。
ただやはり再出血が一番怖いとあり、手術は最初の出血を直すのではなく、再出血を防ぐ為の手術であるという事を知る。予断は許さない。
この日は結局一睡もできなかった。
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