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朝、実家に息子の様子を見に行く。息子はいつもなら夜中に起きるのだが、昨晩は一度も起きずにぐっすりと眠っていたらしい。朝食を実家ですませて病院へ。病室へ行くと、妻がいなくて、ちょっと焦った。看護士さんに聞いたら造影剤を入れてのMRI検査だった。
10時すぎに戻ってきて、先生の方から説明があるという事で、処置室みたいな所の事務室に連れて行かれる。
最悪のケースの動脈瘤が原因だった。決して簡単ではないと言われる。明日の午後に手術をする事が決まる。手術に際してのリスクについて説明され、また「死ぬ」「即死」「重度の後遺症」という言葉を連呼され、目眩がしてくる。
再出血はひとまず回避できているが、手術自体のリスク、術後の合併症のリスクは以前大きい。
手が自然に震えてきたのが自分でも分かった。
妻のいる病室へ戻りながら、途中で息苦しくて倒れてしまいそうだった。本人に言うべきかどうか迷い、とりあえず明日手術である事、手術のリスク等はまだ伏せておいた。
意識はしっかりしていて、しばらく話をした。妻の友達への連絡のお願いと、未来の保育所についても心配していた。メガネと携帯がないから時間がわからないと言っていた。
倒れた瞬間は妻も、もうダメだ死ぬと思ったらしい。「仕方ないなあ」なんて諦めかけた瞬間、自然と息子の笑顔が頭に浮かんだと言っていた。実際にトイレで倒れた時に息子が寄ってきて妻のお腹をバンバン叩いていたのだが、「息子の事を考えたら死ねないな」と思ったと。
そしてある程度の説明は受けているみたいで、手術する必要性、その覚悟はなんとなく出来ている様子だった。頭を開くから、その時は未来とお揃いの丸坊主にすると冗談を言っていた。
その後しばらく眠るといって、眠りについた。
階段の踊り場からお母さん、お父さん、自分の母に電話で状況を説明する。話す事で先生に受けた説明の恐怖が蘇り、手足が震えた。
お母さんと妹とすれ違いになる。皆は病院へ、私は一度家に戻り仕事の整理をする。
取引先の元上司や、涼子の友達に連絡を入れ、事情を説明する度に、心が折れそうになる。話しているうちにまた先生の話を思い出して、声が震えてくる。ふと時計を見るとたった1時間しか経っていないのに、もう数時間もたったような錯覚に陥っている。
14時。とにかく仕事を片付ける事に集中する。
夕方、実家に行き、皆で病院へいく。涼子はすでに頭を丸めていた。彼女の中でしっかりとした覚悟があるように感じた。母の強さなのかもしれない。
今日も息子は実家に泊まる。妻も息子も愛犬もいない家に一人で帰る。正直心細い。でも妻の比べれば屁みたいなものだ。気持ちをしっかり持っていかないといけないと思った。
しかしこの日もほとんど眠る事ができなかった。
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